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ずくぶろく


2011-08-26(Fri) 青空に入道雲。でも雷も雨もなし

[行ったとこ] 大阪ふれあいの水辺 Part II

夕方、帰宅前に軽く寄って、一周してきた。

源八橋の交番前の階段を降りる。このあたりはちょっとドブ臭かった。
水辺あたりはそうでもなかったけど。

足跡だらけの砂浜には、見事なまでに、何もなくなっていた。
通りがかりの人数人を除けば。

小路にあった自販機も、既に撤去されていた。
池の向こうに据えてある浄水設備は稼働していた。

南の隅近くの水際で、蟹を一匹見かけた。
このあたりは蟹がよろめく程度の波浪があった。
大きな哺乳類が近づくと逃げかけたが、ずっと波打ち際にいた。

[読んだ本] 地球最北に生きる日本人

読書メーターにも書いた。

グリーンランド最北の集落を2度探訪した新聞記者の写真とドキュメント。
数々の苦難と危険を乗り越えた体験記は、ページ数を越えて厚い。

グリーンランドの冬は、ここ十年ほどの間に、急速に短くなりつつあるとのことである。
そして、「伝統的な」イヌイットも、それと軌を一にするように減少している。

西側諸国の圧力が、イヌイットの生活を「地球温暖化」以外の形でも 脅かしていることは指摘している。
例えば収入源のひとつであったホッキョクグマの毛皮が、動物愛護や環境保護論による 不買運動で販路を断たれてしまったことなど。
野生動物の個体数減少は、産業化した諸国の乱獲や環境破壊が主原因のはずなのに。

極北ではあっても、産業化の波はかなり高い。
各家庭にはダイニングキッチンがあり、電化されている。
食料雑貨の店舗があり、ライフルがトイレットペーパーの側で販売されていた。
電話はもちろんもインターネットまで来ており、通販も可能になっている。
公教育にはPCが取り入れられている。
吉野家やマクドなんかの出店も間近いだろう、と余計な妄想。

この地に帰化し、イヌイットになりきった日本人(ひょっとすると日本国籍所持?)は、 その地に住む人々の生活文化は、成人してから受け入れた選択肢である。
その特徴をトレードオフとして認識した上で、その地の人々に同化している。

しかし、その地に生まれ育った人々にとっては、選択の余地なく存在している現実に過ぎない。
数十年前には多くの人々が身につけていたはずの、獣皮を鞭に加工する技術は、 帰化した元日本人以外から、ほとんど失ってしまっている。
犬ぞりを今でも使い続けているのは、ぶっちゃけスノーモービルが、「高価い」からに過ぎない。
この地の「伝統的な」生活が、西側諸国以上に魅力的である保証もない。
以前読んだツバル探訪記には、父祖の主食を離れて、ファストフードで肥満した子供たち の話が既に語られている。
要するに、多くは西側に流れるのだ。

あと、「伝統」とか、「自給自足」にしても疑問の余地が。
ライフルによる狩猟は18世紀くらいに西欧から流入するまでなかったはずだ。
既述のとおり、食料(も怪しいが)以外の多くは、産業化された諸国/地域からの 調達であることは言うまでもない。
まぁ銛や刃物にしても、大昔から南方との交易でしか手に入らなかったはずだけど。

やっぱり児童書だった。

追記。
同じ写真が載っている 新聞記事(作者の情報により匿名の記者が編集したものらしい) には、この本に載ってない視点もあった。以下引用:

 「地球最北の村」でさえ、90年代に発電施設ができて以降、次第にモノが増えた。
「買うと余計なことをしなくてはならず、自分の時間が消えていく。
まるで何かに操られているようだ」

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