夕方、帰宅前に軽く寄って、一周してきた。
源八橋の交番前の階段を降りる。このあたりはちょっとドブ臭かった。
水辺あたりはそうでもなかったけど。
足跡だらけの砂浜には、見事なまでに、何もなくなっていた。
通りがかりの人数人を除けば。
小路にあった自販機も、既に撤去されていた。
池の向こうに据えてある浄水設備は稼働していた。
南の隅近くの水際で、蟹を一匹見かけた。
このあたりは蟹がよろめく程度の波浪があった。
大きな哺乳類が近づくと逃げかけたが、ずっと波打ち際にいた。
読書メーターにも書いた。
グリーンランド最北の集落を2度探訪した新聞記者の写真とドキュメント。
数々の苦難と危険を乗り越えた体験記は、ページ数を越えて厚い。
グリーンランドの冬は、ここ十年ほどの間に、急速に短くなりつつあるとのことである。
そして、「伝統的な」イヌイットも、それと軌を一にするように減少している。
西側諸国の圧力が、イヌイットの生活を「地球温暖化」以外の形でも
脅かしていることは指摘している。
例えば収入源のひとつであったホッキョクグマの毛皮が、動物愛護や環境保護論による
不買運動で販路を断たれてしまったことなど。
野生動物の個体数減少は、産業化した諸国の乱獲や環境破壊が主原因のはずなのに。
極北ではあっても、産業化の波はかなり高い。
各家庭にはダイニングキッチンがあり、電化されている。
食料雑貨の店舗があり、ライフルがトイレットペーパーの側で販売されていた。
電話はもちろんもインターネットまで来ており、通販も可能になっている。
公教育にはPCが取り入れられている。
吉野家やマクドなんかの出店も間近いだろう、と余計な妄想。
この地に帰化し、イヌイットになりきった日本人(ひょっとすると日本国籍所持?)は、
その地に住む人々の生活文化は、成人してから受け入れた選択肢である。
その特徴をトレードオフとして認識した上で、その地の人々に同化している。
しかし、その地に生まれ育った人々にとっては、選択の余地なく存在している現実に過ぎない。
数十年前には多くの人々が身につけていたはずの、獣皮を鞭に加工する技術は、
帰化した元日本人以外から、ほとんど失ってしまっている。
犬ぞりを今でも使い続けているのは、ぶっちゃけスノーモービルが、「高価い」からに過ぎない。
この地の「伝統的な」生活が、西側諸国以上に魅力的である保証もない。
以前読んだツバル探訪記には、父祖の主食を離れて、ファストフードで肥満した子供たち
の話が既に語られている。
要するに、多くは西側に流れるのだ。
あと、「伝統」とか、「自給自足」にしても疑問の余地が。
ライフルによる狩猟は18世紀くらいに西欧から流入するまでなかったはずだ。
既述のとおり、食料(も怪しいが)以外の多くは、産業化された諸国/地域からの
調達であることは言うまでもない。
まぁ銛や刃物にしても、大昔から南方との交易でしか手に入らなかったはずだけど。
やっぱり児童書だった。
追記。
同じ写真が載っている
新聞記事(作者の情報により匿名の記者が編集したものらしい)
には、この本に載ってない視点もあった。以下引用:
「地球最北の村」でさえ、90年代に発電施設ができて以降、次第にモノが増えた。 「買うと余計なことをしなくてはならず、自分の時間が消えていく。 まるで何かに操られているようだ」
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